2017年1月16日月曜日

人間




辻さんが言うところによると、どうやら私は人間ではないらしい。正直、これには驚いた。自分のことを人間以外の生命体なのだと疑ったことなど、これまで一度も無かったからだ。ちっとも疑ってこなかった。なので、私もさすがに、いやいや俺は人間だろう、と当初、相手にしないつもりであったのだが、しかし、辻さんが言ったのである。彼は、頭が良くて、できた人である。根拠の無いことを言うような責任感の薄い男では決してない。私は、自分がわからなくなった。よくよく考えてみれば、確かに私が人間である証明など、どこにもないのだ。免許証を見た。学生証も保険証も見た。できるだけ目を凝らして、精一杯見たのだが、どれも私の年齢や名前(私の名前は清水優というのだが、そういう名前の犬もきっといるだろう)が表記してあるばかりで、人間、と明確に示すような記載はどこにも見当たらなかった。やはり、私は人間ではないのかもしれない。そう考えると、色々なことが恥ずかしく思えてくる。ゴリラは人間である、などと大それたことを言っていた、当の本人が人間でないのである。人間でもないよくわからない生物に、君たちは人間だ、と言われたゴリラたちは、なんのことやら、はたはた迷惑な話だったろう。私は人間ではない。そのおそろしい事実が、私の生きてきたこれまでの人生をすべてひっくり返してしまうような気がする。私は、こわくて仕方がない。

先日、姉が結婚式をあげたのだが、なにか取り返しのつかないことをしてしまったのではないかと心細くなる。私が人間でないのなら、姉もおそらく、そうなのであろう。すると私たちは、人間でもない何かしらの物体を、嫁として預けてしまったことになる。これがこの先、子供でも生んだらどうなってしまうのだろう。私たち、得体の知れない謎の生物が、子孫繁栄でもしたら。考えるだけでおぞましい話である。私は姉に連絡をはかった。が、なんと説明したらいいのか思いつかず、ただ、「大丈夫か?」と聞くことしか出来なかった。情けない男である。見事、既読スルーであった。なんとかしなければならぬ。私たちの歴史は、私たちが止めるのだ。
母の風呂場をのぞき見たりして、インターネットで調べた人間の女性の特徴と比べたりすると、どうやら母が人間であることは間違いなさそうであった。となると答えはひとつ。私は母に、父は人間だったのか?と聞いてみた。母は、私を哀れむような目で見つめるだけであった。これは、きっと何か隠しているに違いない。いよいよ確信を得た私であったが、されど、死人に口なし。父はいない。私は、絶望した。

アイデンティティの崩壊。よそ者意識。過去への疑問。そして何より、恥ずかしさである。すべてが恥ずかしかった。みんな知っていて、自分だけが知らなかったのではないか。みんなに気を遣われていたのではないかと思うと、死にたくなった。とてもやってはいられない。私は、自暴自棄になった。もう、どうでもよかったのだ。後は野となれ山となれ。ままよ。私の知ったことではない。私は、交際相手に電話をかけた。なんだか一番腹が立ったからである。電話越しの声は、こうして聞いてみると、なんだか怯えているようにも聞こえた。やはり、そうなのだ。私だけが一人知らず、みんなに馬鹿にされていたのだ。
一時間程して、ようやく家にやって来たその女に、私はこれでもかと罵声を浴びせた。とにかく怒りが収まらなかった。怒れば怒るほどに、この女を許せないという気持ちが新たに湧いて出た。生まれて初めての乱暴なこともした。それこそ私は獣のようであったろう。四肢を地につけ、歯を剥き出して咆哮をあげているのだ。もう、修羅場どころの騒ぎではない。これは種族を超越した、生存をかけた戦争である。私もその女も髪の毛を振り乱し、顔はぐしゃぐしゃに泣いていた。だが、私はやめなかった。どうしても許せなかった。私は手当たり次第につかんだ物を、叫びながら女に投げつけていた。化け物である。発情期のオスである。完全に我を忘れてしまっている私と違って、とうとう冷静になった様子の女は、自分のカバンをサッとつかむと、それで私の顔面をぶっ叩き、玄関の方へと急ぎ逃げ去っていく。私は床を這いつくばうようにして後を追いかけたのだが、去り際、女は私にこんなことを言ったのである。

「あんたなんか、人間じゃない!」

そう、だから困っているのだ。