2018年2月6日火曜日

らぶずっきゅん パート2



と題して、昨日はひたすら私ひとりが嬉しくなるようなふざけた話ばかりだったので、今度は女性版「LOVEずっきゅん」なるものをここに献上し、私の大好きな女性読者のみなさまにご奉仕つかまつり差し上げたいと思ったのだが、どうにも私の人生、こちらがただ一方的にずっきゅんずっきゅんするばかりで、こちらから女性をずっきゅんさせた経験がまったく皆無であるという悲しい現実に気がつき、今、おおいに絶望している。ちっとも思いつきません。ふと、ずっきゅんさせた経験こそ無いかもしれないが、私ももう二十歳を越した立派な成人男子である、恋愛も方恋もいろいろしてきた、映画やドラマだってラブコメばかり見てきたのだ、どのように振舞えば女性がずっきゅんして、頬を赤らめてしまうのか、経験こそ確かに皆無だが、頭では実は知っているんだぞと、ただ恥ずかしいから実践しないだけであって、そのぐらいのノウハウは理解しているのだぞと、また悲しい負け惜しみのような情もほのかに起こったりもしたのだが、やはり、てんで何一つ浮かばない、ということは、きっと私は何もわからないお坊ちゃまということなのだろう。できれば教えていただきたい。せっかく男として生まれてきたからには、ずっきゅんさせて、そうして、なんというか、ずっきゅんずっきゅん言わしてやりたいよ。

私が中学生の頃、「キュン死に」という言葉が流行っていた。これはようするに、ずっきゅんの度合いがあまりにもすごすぎて、死んでしまうことを指す。「キュン死ぬ」といったように、動詞として活用することも可能である。しかし、主な使い方としては、「キュン死にする」「キュン死にしそう」といったような感じで、名詞に「する」をくっつけた形が好まれるようである。さて、この「キュン死に」という言葉を使い出したのは、私の友人の内山という男で、この男があまりにも「キュン死に」「キュン死にするー!!」とクラスで叫ぶので、その友人である私たちもマネをして、ことあるごとに「キュン死に」「キュン死に」と大声上げて騒いでいたのだが、どうにも内山本人の「キュン死に」だけは、私たちがマネして叫んでいる「キュン死に」とは違い、真実味を帯びた心の底からの雄叫びであったようで、当時、私たちのクラスで二番目に人気のあった、色の白くて背が高いOちゃんという女性に、リアルに「キュン死に」していたそうだ。それを聞きつけたお馬鹿な私たちは、これは面白いことを発見したとばかりに、いっそうあの「キュン死に」シャウトに拍車がかかり、内山とOちゃんが少しでも会話していると見れば、クラスが一瞬スンと静まり、その後、今度はひそひそ「キュン死に」コールと言ったような、異様な雰囲気に周囲が包まれてしまって、どうにも2人とも気まずくなってしまい、内山の恋の進捗も、なんとも停滞の様相であった。

ある日、掃除か何かの時間に、私はOちゃんと同じグループだったので、内山の方恋のアシストをしてやろうかと厚い友情の念に打たれ、ちょっとその辺の事情を、彼女に聞きだそうと思い、なんとか2人きりになるタイミングをうかがって、階段を上ったり下りたり、箒を片手にウロウロしていた。屋上の手前の踊り場で、ようやくOちゃんと2人きりになれた。
「Oちゃん、内山との調子はどうなんだい?」
私は相変わらず馬鹿でデリカシーのない男であった。
Oちゃんは少しうつむいたかと思うと、突然、泣き出してしまった。私は少し驚いたが、それを上回るとんでもない阿呆でもあったので、怯まずOちゃんに尋ねた。
「どうしたの。誰か他に好きなやつでもいるのか?」
私は、おそろしいほどに空気を読めない男である。
「。。清水。」
私は何の話だかよく理解できず、眉をひそめて突っ立っていると、Oちゃんは走って階段を降り、どこかへ逃げ去ってしまった。
ひとり踊り場へ取り残され、とうとうようやくここへきて、とうとうようやくここへきて事態を察した愚かな私は、ポツリと一言。
「これが、キュン死に、か。」
手がプルプル震えていた。




どうもまいどすみません。