2016年11月9日水曜日

作戦会議




今、ここ一週間の日記を読み返してみたのだが、どうやら僕は最近、自分でも恥ずかしくなるくらいに、橋野さんの話ばかりしているようだ。完全に浮かれている。筆圧もふにゃふにゃしていて、文もまとまりがなく破綻していて、読みづらい。帰り道の習慣にしていた読書も滞り、電車ではひたすらドリカムを爆音で聞いている。これはいかん。いかんと思われる。
恋は盲目。
11月9日水曜日、僕は一旦、冷静にならなければいけない。事実を客観的に眺め、自分が現在どこにいるのかを、把握しておこう。なんだか学者みたいだが、仕方あるまい、僕には経験値が無さ過ぎる。
今日も授業の合間、そして授業中、僕と橋野さんは、一番後ろの席で、延々楽しくしゃべっていた。と、少なくとも僕は思う。なんて言ったって、今日の物理の時間、あの無関心、無干渉がモットーの栗原先生ですら、僕たちのおしゃべりには、少し困っている様子であったのだから。けれど、あんなに楽しそうに笑っておいて、実際、本心は退屈に感じているのだとしたら、女性というのは本当に魔物だ。僕なんかには、生涯手に負えないだろう。
と、ここで冷静な僕の出番である。僕と橋野さんは、教師の目を盗んで笑い合うほどに、おしゃべりの話題がつきないように思えて、実際のところ、9割方、宍戸の話しかしていない気がする。冷静すぎて悲しくなってきたな。いや、しかし、これはまずいのではないか?僕は日記のネタでもそうだが、橋野さんと話している時でさえ、宍戸に頼りすぎている。ここにさんざん書いてきたような、あいつの破天荒な面白奇行列伝と、そして学校のみんなは知らないような、宍戸の繊細で多感な一面(この部分こそ宍戸という人間を一番象徴しているように僕には思える)を、あいつと同じクラスになったことがなく、話したこともないという橋野さんに、ひたすらしゃべり続けているのだが、とにかく楽しそうに、時折は不思議そうに聞いてくれるので、ついついあいつの話ばかりになっている。特に橋野さんのお気に入りは、宍戸が床と床の継ぎ目の部分を踏まないように歩いているという話と、あいつが中島みゆきの歌詞をすべてノートに写して書いているという話だ。橋野さんは最近、宍戸とすれ違うたびに、笑いをこらえるのに必死だそうだ。何を書きたいのか分からなくなってきた。冷静に分析してはみたものの、今後どうしたらいいのかという対策はおろか、自分の現在地もどこにいるのか全然ピンとこない。とりあえず宍戸の話は封印して、橋野さんに血液型でも聞いてみるか?わからねぇ、なんにもわからん。宍戸に相談するか?いや、女性である姉貴か?けれど、姉貴とそんな話はしたことがない。昔は色々言っていた気がするけど、最近はさっぱりだ。中島くん事件のせいかもしれない。

姉貴が小5で、僕が小4の時だったと思うが、姉貴はサッカー少年の中島くんが好きだった。姉貴は家で散々その話をしていたから、僕も中島くんのことはまぁまぁ気になっていたんだけれど、ある日、僕は小学校のひとつ上の階に勇んで上がっていき、姉貴の5年3組の前まで行くと、廊下で男子5人くらいで集まっている中島くんを見つけた。家で母さんと一緒に中島くんの写真を見たことがあったから、すぐに分かった。なんだか憧れの人に出会えたみたいなおかしな気持ちになった僕は、中島くんに話しかけ、
「中島くんですか?僕は本田の弟です。うちのねぇちゃんは中島くんが好きです。サッカー頑張ってください。」と一息に言って、中島くんたちにはすごい笑われた気がしたけど、満足感に溢れてひとつ下の教室に帰還した。家へ帰ると姉貴は、ものすごい怒っていて、そして打ちひしがれたようにショックを受けていたが、その理由がわからないくらい、僕は若くて馬鹿だった。懐かしい、久しぶりに思い出した。

あとで勇気を振り絞って、姉貴に相談してみようか。姉貴は昔のことをズルズル引きずらない、賢くてあっさりした人だから、きっと大丈夫だろう。けれど、やっぱり照れくさい。橋野さんと話すより、よっぽど緊張する。
とりあえず、姉貴に披露して評判がよかったら、明日は中島くんの話を橋野さんにしてみるつもり。予習して行くのはずるいか?仕方があるまい、僕には経験値が無さ過ぎる。毎日が戦いだ。一戦も落とすわけにはいかない。

中島みゆきの話をした日に、中島くん事件を書こうとしてしまうあたり、僕はやっぱり文章が下手だ。
下手の横好き。
けれど、この言葉はかわいい。憎めない。