2016年8月29日月曜日

息抜き

 猿がスーツ着て座っているんじゃないんだから、もう少し気の利いたことを教えてくれたっていいような気がしないでもない。みんな一様に英単語、英単語って言うからには、確かに英単語は一生懸命覚えるべきなのは分かったけれども、それでも困っている人には「息抜き」が必要ってのは如何なものかしら。あの優男がいうには、息抜きもしないで勉強をし続けることは到底無理な話であり、たとえ成し遂げたとしても、頭が疲れているためにその成果はほとんどない、とのことである。マジかよ「息抜き」。かくいう優男は、首や腕をぶんぶん回す体操をしたり、ときには音楽に合わせて踊ったりもしたそうだが、流石にそれは恥ずかしすぎる。そもそも女が息抜きなんてしたら、それはもはや女ではない。そう思わない?とにかく人前で背伸びをするなんてこときっとできないから、愚痴ぐらい言わせてもらってもいいかと思い、未来のために、受験のために、勉強のために、息抜きさせてもらいます。やっと言える、そう、私は蝉が嫌い。蝉のことをボロカス言ってすっきりさせてちょうだい。本当はいつも隣に座ってくるシャー芯カチカチ男とか、例の優男とかいたんだけど、人の悪口はあまりよくないから、しょうがないから蝉で我慢。おい、蝉、君らで我慢しといてやろう。
 夏も終わりに近づいてきて、あの忌まわしき蝉の鳴き声もいくらか静かになってきた。こんな季節になると、「いなくなったらいなくなったで寂しくなるもんだね」なんて間の抜けたことを言い出す老人がいそうだが、まったくもってナンセンス。私はそんなことは思わない。蝉がいなくなって寂しい、まったく意味が分からない、老人は嘘つきかボケているかどっちかだろう。いなくなったものや人をやたら崇め奉りたがる人たちがいるが、あれはどういった心境だろう。死者への慰めのつもりならこれまたナンセンス、死んだ後に褒められたって一円の得にもならない。私は、ジョンレノンよりポールだし、家族残して死んじゃうような芥川や太宰よりも、血吐きながら書き続けた漱石のほうが男としてずっと素敵だと思う(血吐くぐらいなら書かなければいいのにとも思うけど)。だってオノヨーコは見ててかわいそうよ。なんか話ずれたけど、蝉がいなくなるからって彼らが私たちに及ぼした害が、一切水に流されるのなんて危険な考え方だと思うわ。そもそも死んだ後も蝉って道に転がっているじゃない。道に転がっている限りは私の中では彼らはまだ死んでるとはいえない。むしろ木の上のほうに止まっている生きているけど見えない蝉より、確実にその姿をとらえて避けて歩いていかなければならない死んでいる蝉のほうがよっぽど有害かもしれない。それでもって彼らたまに生き返る。轟音とともに。あのときの心臓の驚き方といったら本当に心臓麻痺してもおかしくないくらいだけど、もし失神して倒れたら蝉が私の上に乗っかってくるかもしれないとさらに恐ろしい事態を回避すべく、気を確かに胸をつかみその場は確実に立ち去るようにする。私は蝉と闘ったりしない。接触がなにより怖いのだ。色黒の世界史の先生(私は勝手に黒木と呼んでいるが、本当の苗字は知らない)は、宗教戦争のえげつなさを、「人とゴキブリが戦うようなものだ、違う種類の生物に対して容赦はしないのだ」とか言っていたけど、本当に嫌いなら闘わないよ黒木。近くで見るのさえ嫌なの。ほんと無理。あと蝉はほんとにうるさい。ただでさえ暑くて寝苦しいのに、あんなに夜まで泣かれたらそりゃ嫌いになるわ。いったい蝉の親はどういうしつけをしているのか、とか考えたけど、あの泣いているやつ全部親らしい。どうか次世代の子蝉が親の背中を見て育たないことを切に願うのみである。いざ書いてみたらそんなに嫌いな所多くなかったけど、それでもこんなに嫌いなんだから、一つ一つの短所がきっとすごい短所なのね。あー、スッキリした。夏も終わって蝉ももうすぐいなくなるし、ますます勉強に精が出そう。今日の息抜きおしまい。よしっ、英単語やるぞー!