2018年1月20日土曜日

今を生きる



私は森の中に入った。
命に意味を持たせるため、生きることの真髄を心ゆくまで味わっていたい。
あの世へ旅立つときに後悔しないために。




これは私の先生が挙げた1つの詩だ。
かの有名なウェリントン学校。伝統的かつ保守的な教育を重んじ、偏差値も進学率も頭1つ飛び抜けた名門学校に私は通っていた。
そこに新任である、ジョン先生が赴任してきた。ジョン先生はほかのどの先生にもない理念を持っていた。
1時間目、ジョン先生は皆を学校の名誉室へと連れてきた。学校を飾る有名な卒業生の写真を前に、先生はある1人の生徒に詩を読ませた。
"成熟した蕾を摘み取ろう。過ぎ去った時は戻らない。今日、笑っている花びらも、明日となれば枯れている。"
私たちにはわからなかった。これはいったい何の授業だ?
先生は卒業生の写真を指差して言った。
ここにいる卒業生たちは皆、情熱的で野心にあふれ、その気になれば世界さえもつかめると信じていた。
...けれど、今はみんな土の中。もしここに彼らがいたら君たちになんていうだろうね。
今を大切にした方ががいい、と忠告されるはずだ。1時間目が終わった。


私たちは戸惑いを隠せなかった。次の時間、ジョン先生は教科書の序章を読ませた。
それは詩の評価方法だった。まじめな生徒は早速ノートを取り始めた。
だから、ジョン先生はこう言った。今読んだ教科書のページを、引きちぎれ。
生徒たちはフリーズした。"こんなことを要求してくる先生は初めてだ!"
勇気ある生徒が、率先して教科書のページを壊すと、皆もそれに続いた。
"教科書の読解問題って知ってる?有名な文豪が書いた著書の中にアンダーバーが引いてあって問われる。この時の著者の心情を答えなさい。いつも思うんだけどさ、知るわけないだろう!そんなことその本を書いた著者でさえ忘れてるよ。でも、文部科学省は答えを知っている。
それにしたがって答えないと点数はもらえない。つまり、教育とは、社会適合者を作り出すためのもの。ベルトコンベアで人を部品のように仕立てあげ、社会に納品する。一度限りの人生をどうやったら楽しめるかについては全く無関心。"