2016年9月5日月曜日

息抜き2

 思い出し笑いを必死でこらえてなんとか席にたどり着く。笑いが止まらない。授業見てても、参考書見てても、何にもしてなくてもなんかこみあげてきちゃって本当につらい。この左右の壁が無かったらきっと私やばい人だ。左右の壁マジサンクス。かっこよく言うと左右の壁じゃなくて「ブース」っていうらしい、あの人たちが言うには。ここに来てはじめて知った言葉だけど、私は意外とお気に入りよ。辞書で引くとbooth。小さく仕切られた空間。まったく英語も素敵な単語を持っていてあなどれない。私は「お城」と訳したい。あるいは「夢」でもいいかもしれない。つまり、私だけの空間である。優男、メガネ、黒木などの教師たちは、時々、この教室内を悠々闊歩しながら、私たちのお城を自由に見て回るが、それが私にはうらやましくってたまらない。私だってお城めぐり、ロマンティック街道を旅行したいのだ。空いてる席を探すときに、なるべくたくさん覗き見るようにするが、本当にみんな個性的で素敵で、それだけでも塾に来た甲斐があったと思えるほどである。しかし、私は一日一回しか街道散歩を楽しめないために、その変化を見届けることはできない。情熱がほとばしる作りたてのお城もいいし、哀愁漂う朽ちかけのお城も見てみたい、そして何よりその過程を見てみたいのだ。私の隣によく座ってくるシャー芯カチカチ男のお城はスッキリしていて、その外観の華やかさよりも、むしろ実用性に重点を置いており、「勝つための城」といったところであろうか。しかし、あの坊主くんのお城は絢爛豪華素晴らしい。野球をやらしておくのはもったいないくらいに、繊細かつ大胆なその城構えに巧みな色使い。机の最上部に置いた銀地に黒字のエナメルカバンには、王者の自信ともいえよう風格が漂っているが、着目すべきはその鮮やかな内装である。壁の色が見える部分はほとんど無く、大小様々な参考書が左右の壁を完璧に覆い、その参考書の色がこれまたいい。緑の本はどこで買ってるの坊主くん。私ははじめてあの坊主くんの国宝級のお城を見たときに、すぐさま彼を椅子からどかして、その中央アジアの大草原のど真ん中で眠ってみたいと真剣に思った。けれどもやっぱりパソコンが微妙よね。映像が流れているのはもちろん、消えたときに私の顔が映るあの瞬間で一気に現実に引き戻されちゃうし、何よりも、あの絡まって下に引っ張られているコードを見ると、ここはロマンティック街道でもお城でもない「ブース」なのねってがっくりきちゃう。てな話を黒木にしたら、散々私を笑った挙句、パソコンの無いブースあるよ、と神妙ぶって語るのである。うるせぇ、そんなの知ってるわ黒木。パソコンの無いブースは数字が嫌い。80やら90ってなんか圧迫感あって息が詰まると言うか、先を急いでいるような気がどうもしちゃって落ち着いて座っていられない。だからといって、一桁の数字もなんだか寂しくて嫌だし、とにかく私のロマンティック街道巡りは苦難の旅なのだ。トントン、と肩に伝わる衝撃で私は目覚める。見上げると、黒木が、頑張れと小声で言っている。突然の訪問者に驚いた私は、急いでお城の外観だけでも取り繕うのだが、おもてなしの準備ができたときには黒木はもう次の街へと繰り出しており、私の努力は徒労に帰す。けれど私はめげない、しょげない、またのお越しをお待ちしております。
 あいかわらず授業は全く頭に入ってこないが、きっと人が多すぎて、酸素が足りていないに違いない。そしてそのせいで、私の脳は機能を失っているのだ。私は人より酸素の影響を受けやすい人間のような気が前々からしていた。だって山とか田舎とか好きだし。この教室に木でも植えてやろうかしら。いい加減同じ景色にも飽きてきたところ。あぁ、旅行とかしたい。太陽直撃照り返しビリビリじゃなくて、涼風ピロピロ木漏れ日チロチロくらいの森の中の避暑地!だけど蝉いたらどうしよう、とか考えてたら余計に集中できるはずもない。おーい、お城の向こうの受験生さーん、今何考えてるのー?画面を避けるように右向き左向く私はやっぱり少しおかしいのかもしれない。さてさて、この辺でそろそろ息抜きにでもでかけようかしら。きっとその後で勉強してやるんだから。あー、笑いが止まらない。